たけまる通信ver2 忍者ブログ
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東京の立川にアップルコンピュータの代理店だった「コンピューターランド立川」が前身の会社だったらしい

そこに入り浸っていたのが「木屋善夫」氏

この人を中心に80年代半ばから90年代初頭辺りまでがファルコム全盛時代だったと言えます

いきなりヒットゲームを出したわけではないのです

他のソフトハウスのように、いろいろなゲームを出しています

アドベンチャーゲームの「デーモンズリング」1984年発売です

このゲームの発売でファルコムの名が知られるようになり

同年発売の木屋氏が作成したRPGゲーム「ドラゴンスレイヤー」も発売されました

この時代まではまだメディアがカセットテープでした

その為にロードを失敗すると長ーーいロード時間に陥って大変な目にあいます




ドラスレは、元祖死にゲーと呼ばれ、この頃のゲームにありがちな理不尽な難易度を

当時、世に出たばかりの「TVゲーム」にはまり、燃えたゲーム少年が意地でもやり遂げた(クリア)ことで得た達成感のみ頼るゲーム作りです

この2年後の発売となるドラゴンクエストがいかに良くできたRPGであったかよくわかると思います

しかし木屋氏による死にゲーはまだまだこんなもんじゃ済みませんw


その翌年に出たドラゴンスレイヤーシリーズ第2弾「ザナドゥ」




1985年・・・・

この年はあのPC8801mkⅡSRが発売されたのですが

SRに標準装備された5インチフロッピーは、1984年にシャープ「X1turbo」というパソコンの方が先に搭載され発売してました
注:FDDなし、FDD1基搭載、FDD2基搭載の3モデル同時発売、それぞれ168000円、248000円、278000円

その為最初はまずX1turbo版からの発売となり、PC8801mkⅡ版、同SR版、そして富士通パソコンのFM77版の発売でした

この3つの機種が当時のゲームPCの御三家でした

そしてPC8801mkⅡSRがFM音源を搭載したこと

そして廉価版であるPC8801mkⅡFRの発売で、PC88の市場が他2社を大きく引き離し普及していくのです

ザナドゥ・・・これまでのパソコンゲームのグラフィックとは一線を画しており

更に今は淘汰され絶滅した「マイコンショップ」で流れてたSR版のFM音源によるデモ画面は、初めて見た時に一緒にいた友達ともに大きな衝撃を受けるほど凄かったのです
注:PC88は高くて買えないから休みの日に友達と遊びに行ってたのです、
今と違って買わなくても見てるだけ(ひやかし)でも、店員(店長)がやたらフレンドリーで
いるだけで楽しめたいい時代でした

ザナドゥにはこのゲーム独特の「カルマ」制度があり、

倒してはいけない敵を倒すとカルマ値が上がり、1でもカルマ値があると寺院には入れずレベルアップできないと言う罠が仕込んでありました
注:このゲームのレベルアップは寺院でないと出来ないのです

今のようにネットで調べられるわけでもなく、この少し後に訪れる攻略本が普及してるわけでもなく

始めてプレイした時に意味が分からず右往左往してました


後に友達から借りた攻略本で

開始時にCHR(魅力)をMaxに上げると買い物が最安値で出来るのでそれで装備を整えろ

というやり方が判明して、それでクリアできるようになりましたw


このザナドゥ、この時代相当な高価だったパソコンをプラットホームにしたゲームだったにもかかわらず
注:攻略等の興味ある方は自分で調べてください!w
クリアしたのが大昔でもう攻略の仕方を覚えてないのです!w


40万本という空前の大ヒットゲームとなったのです
注:このおかげで本社ビルが建ったと言う話です
何しろファミコンやメガドライブといったプラットホームと違い、参入料等がかからないのですから


と言う事で二匹目のどじょうを救うために出ました、その翌年「ザナドゥ・シナリオⅡ」

今でいうアペンドディスクです

本編であるザナドゥがないと遊べないやつです

ただし難易度もアップし、理不尽さも増し増しになったと言うやつですw

ノーマルバージョンで何とかクリアできた難易度でしたが、2では無理ゲーでしたw

なおシナリオ2からある人物がファルコムに入社してます

その人は「古代祐三」氏

サウンドクリエーターで、のちにイースシリーズやアクトレイザーなどで有名になってます

シナリオ2も凶悪でしたが、木屋氏による凶悪死にゲーはまだまだ続きます





ドラゴンスレイヤーシリーズ第3段ですが、RPGではなくアクションアドベンチャーです

ただし難易度は鬼です、マジで鬼ですw

理不尽極まる謎解き、途中セーブ不可なのでやられると地獄のような1からやり直し

攻略本が無いと、つーかあってもクリアが相当難しいと言われた正に鬼ゲーですw

雑誌の広告等でもそれを歌っており、その超絶難易度を求めて買ったユーザーですらあきれ果てるほどの理不尽満載ゲームでした

さすがにやり過ぎたと思ったのか、ユーザー登録のアンケートはがきで苦情が一杯きたのかは分かりませんが

これを境に死にゲーのファルコムは誰でも遊べる難易度のゲームにシフトチェンジしていきます

ドラゴンスレイヤーシリーズ第4弾「ソーサリアン」、木屋氏とは別のラインで後に「クインテッド」を立ち上げるメンバーで作られた「イース」などなど










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これが10年続いてるMMORPGのロードマップなんですよw

ver4あたりから全く変わり映えしないんですよw

10年経とうが何1つやることが変わらないと言う、まさに脳死状態の開発なんですよ~w

何しろ全部が全部使い回しですから~~~w






ver4.5後期のロードマップ

全く変わり映えしてないなw




ver5.5前期・・・・・














使い回しだらけなのと、メインストーリーと面白さに直結しない改修だけで半年課金しろと言ってるんですよ~w






アタマダイジョウブカ????






いやまじで・・・・・

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apple2でウィザードリーやウルティマが1部のゲームマニアに受けてた時代から少したって、

日本でもパソコンが一般ユーザー向けに発売されました

時代は1980年代前半、NECからPC6601、シャープからX1が順次発売されました



主にゲーセンで少し前にはやったゲームを中心にしたラインアップと

海外版のPCゲームの日本語版

それとPC6601やX1向けのパソコンゲームの開発発売が始まっていました


ブロック崩し


ゼビウス


ドルアーガの塔


まあPC6001の性能がそれほど良くなかったし、同時発色の色数も少なく、

後に発売されたMSXよりも性能が落ちてるのでこの程度のグラフィックでした


ウィザードリーやウルティマなどのRPGとともに一斉を風靡したのがアドベンチャーゲームでした

その先駆けともいえるソフトがこちら

「ミステリーハウス」

元はapple2で1981年に発売されたソフトで

世界初のグラフィック付きのアドベンチャーゲームでした

それ以前にもアドベンチャーゲームというものはありましたが、テキストのみだったのです

「コロッサル・ケーブ・アドベンチャー」

1977年ごろに出た世界初のテキスト型アドベンチャーゲームだそうです

日本でもテキストアドベンチャーがいくつか出たらしいですが

ミステリーハウスの登場とX1やPC88の発売でグラフィック機能が大きく向上したので廃れたようです

しかしこの手のアドベンチャーゲームには大きな欠点がありました

今のAVGしか知らないと信じられないと思いますが、当時は打ち込み式だったのです

打ち込み式と言われてもピンとこないと思いますが、

選択肢、もしくは行動をキーボードで打ち込むのです

つまり制作者が考えた正解が「写真をヤスに見せる」というのなら

「写真を見せる」でも不可

「写真をヤスにみせる」でも不可なのです

それ故、答えを探す作業が大変で、答え探しの「行程」込みがゲームだったのです

その為にこういったものが必須になるわけです



いわゆる攻略本ですw

なかでも有名だったのが山下章氏です


そして1983年、PCゲームの大本命機である「PC8801mk2」が発売されました

こちらは外付けながら「FDD」を付けられると言う機種でした

前年1982年に最初の「PC9801」(ビジネス機)が発売されたこともあり、このあと88シリーズはホビーユースへと特化していくのです

一方シャープはメディアが「カセットテープ」だったX1をさらに進化させ

1984年には「X1ターボ」というパソコンを発売します

カセットテープでイライラしながらゲームをしていたゲーム少年は

X1ターボはX1の完全上位互換があったので、乗り換えを考えますが


5インチFDD×1基内蔵248,000円、5インチ278,000円

という価格を見てため息をついたのでしょうw

更にグラフィックが640×400ドットで8色という性能を誇っていたために、専用ディスプレイが必要となり

その値段が129800円と言うのを見て絶望したでしょうw

まあもっともこの頃のハイエンドな家庭用TVには「RGB」端子がある機種もあり、

それがあれば接続可能だったかも


これを見ていたNECも、その翌年に「PC88-1mk2SR」を発売します

こちらも5インチFDD搭載モデルで、さらにFM音源搭載という夢のホビーPCとして登場するのです
注:FDD無しmodel10が168,000円、1ドライブ搭載のmodel20が213,000円、2ドライブ搭載のmodel30が258,000円

その翌年、ほぼ同性能で廉価版である「PC8801FR]が登場したこともあり(フロッピー2基搭載で定価148000円)

このFR版が登場したことで、88の市場は拡大の一途を経て、PC88対応のゲームが多数出ることとなり、最先端のゲームを味わえるマシンとなったのです

なかでも当時のゲーム少年を愕然とさせるゲームが登場することとなります

時に西暦1985年、あの社会現象となったメガヒットゲーム「スーパーマリオ」の発売と同じ年にあるゲームが発売されました

日本ファルコムから「ザナドゥ」というゲームが登場したのです





続く















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ドラクエの堀井雄二やFFの坂口博信が世界初のパーソナルコンピューターapple2で遊びまくってたのがウルティマやウィザードリー





apple2は1977年に発売され、値段はその当時50万ほどしたらしい

当時大学生の彼らはバイトして買ったとか

まあ普通の人間なら今の世でも50万のPCを買うと言うのはかなりのマニアですが

当時の物価を考えたら、今だと200万ほど位の感覚でしょうか(多分そんなもんじゃすまないw)

そんなもん買ってゲームに明け暮れていたと言うのだから驚きです

一方日本でも性能的にはapple2より劣るものの、値段はグッと抑えめのパソコン

まあ当時はパピコンとかマイコンとか言っていたらしいです


こちらNECから発売されたPC-6001

apple2より遅れること4年、1981年11月に9万円弱で発売されました

1977年に任天堂より発売された家庭用TVゲーム機「カラーテレビゲーム15」が定価が15000円だったので

それでも高価だったのがわかります


こちらは1982年12月に発売されたシャープのX1

定価は何と15万5千円w

小学生は勿論、中学生・・・・・

いや高校生でもこの金額を変えるのはかなり裕福な家の子供ではなかったでしょうか

後にパソコンのシェアをほぼ独占することなるNECは1983年にPC-6001MK2 (84800円)や

その上位機種PC-6601(143000円)

1985年にはボビーパソコンとしてPC-8801mkIISRが発売されました



通称88SRはいわゆる88世代のPCゲームをやるために

ファミコンでは満足できない比較的大きなゲーム少年が買うようなパソコンでした

NECでもホビーパソコンという位置づけで発売しており

ビジネスPCのPC-9801とは一線を画してました

フロッピーディスク1基搭載してるやつで、21万越えと言うかなり…相当な高価なPCでしたw

翌年、廉価版として同性能のPC-8801FRが発売されたので(5インチフロッピー2基搭載で148000円)
注:消費税というものがまだない良い時代w

普及台数はこちらのFRの方が多かったのではないでしょうか

この8801SRは、CPUなどの性能の他に、5インチフロッピーやFM音源といったものを搭載しており

ファミコンやセガマークⅢやPCエンジンが逆立ちしても勝てない性能を誇っていました

その為に家庭用ゲーム機では味わえないようなゲームも1985年ごろには多数出ていました

同年に歴史的ヒット、社会現象となるスーパーマリオが発売されたこともあり、空前のゲームブームが来るのです



そして少しだけ次代を遡ります

5インチフロッピーがパソコンに標準搭載される前、初代X1やPC-6001mk2の頃は、

その媒体にはカセットテープが使われており、ロード時間が異様に長く、また回数も多く

エリアチェンジなどをするたびに数分~数十分というロード時間がかかると言うのが普通だったようです




日本でも1980年代に入るとPCゲームの開発を行うソフトハウスが増えて行き、

色々なソフトが発売されることとなりますが

まだまだ認知度は低く、

1部の、そのまた1部のゲームマニアしかパソコンゲームをやらないような時代でした

何しろ肝心のハードであるパソコンが高価過ぎたのです

ファミコンはもちろん、その前のインベーダーブームからパックマン、ギャラクシアン、ゼビウス、ドンキーコングといったファミコン発売以前にゲーセンを席巻したゲームで

TVゲームに魅力に取りつかれた子供たちですら、

その存在は当時のパソコン雑誌「I/o」「マイコンBASICマガジン」「LOGIN」などでしか知りえなかったのです

それらのゲームをやるのはまさに夢のまた夢だったのです

友達が買ったとか言う情報が出回るとその家に色々な理由をかこつけて

その家に入り浸ってそれらのゲームをやっていた少年たちもいたのではないでしょうか(身に覚えがありますが・・・w)

まあPCゲームだけに関わらず、ファミコンやPCエンジンでも小遣いに限界があるキッズなので

まあ普通に持ってる友達の家に入り浸りになるのでしたがw



続く




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え?w

誰?w

確かにいかにも中国人らしい顔になってるけど、これでいいのか?w


これで思い出したのがこちらw




酔拳に出て来る、ジャッキーが演じる「黄飛鴻」の叔母さん役の林瑛さんw

この人の娘でも違和感がないw

日本のゲームだし、無理に中国人ぽくせんでも・・・w



こちらが各シリーズの春麗さん

確かに近年の春麗は筋肉達磨みたいになって行ってたけど、まだましだった?w

むしろ系統としては、バーチャファイターのラウの娘でもw


一方バーチャのラウの娘のパイチェンさんは・・・



この路線でええやんw


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