たけまる通信ver2 レトロゲーのお話 忍者ブログ
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apple2でウィザードリーやウルティマが1部のゲームマニアに受けてた時代から少したって、

日本でもパソコンが一般ユーザー向けに発売されました

時代は1980年代前半、NECからPC6601、シャープからX1が順次発売されました



主にゲーセンで少し前にはやったゲームを中心にしたラインアップと

海外版のPCゲームの日本語版

それとPC6601やX1向けのパソコンゲームの開発発売が始まっていました


ブロック崩し


ゼビウス


ドルアーガの塔


まあPC6001の性能がそれほど良くなかったし、同時発色の色数も少なく、

後に発売されたMSXよりも性能が落ちてるのでこの程度のグラフィックでした


ウィザードリーやウルティマなどのRPGとともに一斉を風靡したのがアドベンチャーゲームでした

その先駆けともいえるソフトがこちら

「ミステリーハウス」

元はapple2で1981年に発売されたソフトで

世界初のグラフィック付きのアドベンチャーゲームでした

それ以前にもアドベンチャーゲームというものはありましたが、テキストのみだったのです

「コロッサル・ケーブ・アドベンチャー」

1977年ごろに出た世界初のテキスト型アドベンチャーゲームだそうです

日本でもテキストアドベンチャーがいくつか出たらしいですが

ミステリーハウスの登場とX1やPC88の発売でグラフィック機能が大きく向上したので廃れたようです

しかしこの手のアドベンチャーゲームには大きな欠点がありました

今のAVGしか知らないと信じられないと思いますが、当時は打ち込み式だったのです

打ち込み式と言われてもピンとこないと思いますが、

選択肢、もしくは行動をキーボードで打ち込むのです

つまり制作者が考えた正解が「写真をヤスに見せる」というのなら

「写真を見せる」でも不可

「写真をヤスにみせる」でも不可なのです

それ故、答えを探す作業が大変で、答え探しの「行程」込みがゲームだったのです

その為にこういったものが必須になるわけです



いわゆる攻略本ですw

なかでも有名だったのが山下章氏です


そして1983年、PCゲームの大本命機である「PC8801mk2」が発売されました

こちらは外付けながら「FDD」を付けられると言う機種でした

前年1982年に最初の「PC9801」(ビジネス機)が発売されたこともあり、このあと88シリーズはホビーユースへと特化していくのです

一方シャープはメディアが「カセットテープ」だったX1をさらに進化させ

1984年には「X1ターボ」というパソコンを発売します

カセットテープでイライラしながらゲームをしていたゲーム少年は

X1ターボはX1の完全上位互換があったので、乗り換えを考えますが


5インチFDD×1基内蔵248,000円、5インチ278,000円

という価格を見てため息をついたのでしょうw

更にグラフィックが640×400ドットで8色という性能を誇っていたために、専用ディスプレイが必要となり

その値段が129800円と言うのを見て絶望したでしょうw

まあもっともこの頃のハイエンドな家庭用TVには「RGB」端子がある機種もあり、

それがあれば接続可能だったかも


これを見ていたNECも、その翌年に「PC88-1mk2SR」を発売します

こちらも5インチFDD搭載モデルで、さらにFM音源搭載という夢のホビーPCとして登場するのです
注:FDD無しmodel10が168,000円、1ドライブ搭載のmodel20が213,000円、2ドライブ搭載のmodel30が258,000円

その翌年、ほぼ同性能で廉価版である「PC8801FR]が登場したこともあり(フロッピー2基搭載で定価148000円)

このFR版が登場したことで、88の市場は拡大の一途を経て、PC88対応のゲームが多数出ることとなり、最先端のゲームを味わえるマシンとなったのです

なかでも当時のゲーム少年を愕然とさせるゲームが登場することとなります

時に西暦1985年、あの社会現象となったメガヒットゲーム「スーパーマリオ」の発売と同じ年にあるゲームが発売されました

日本ファルコムから「ザナドゥ」というゲームが登場したのです





続く















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ドラクエの堀井雄二やFFの坂口博信が世界初のパーソナルコンピューターapple2で遊びまくってたのがウルティマやウィザードリー





apple2は1977年に発売され、値段はその当時50万ほどしたらしい

当時大学生の彼らはバイトして買ったとか

まあ普通の人間なら今の世でも50万のPCを買うと言うのはかなりのマニアですが

当時の物価を考えたら、今だと200万ほど位の感覚でしょうか(多分そんなもんじゃすまないw)

そんなもん買ってゲームに明け暮れていたと言うのだから驚きです

一方日本でも性能的にはapple2より劣るものの、値段はグッと抑えめのパソコン

まあ当時はパピコンとかマイコンとか言っていたらしいです


こちらNECから発売されたPC-6001

apple2より遅れること4年、1981年11月に9万円弱で発売されました

1977年に任天堂より発売された家庭用TVゲーム機「カラーテレビゲーム15」が定価が15000円だったので

それでも高価だったのがわかります


こちらは1982年12月に発売されたシャープのX1

定価は何と15万5千円w

小学生は勿論、中学生・・・・・

いや高校生でもこの金額を変えるのはかなり裕福な家の子供ではなかったでしょうか

後にパソコンのシェアをほぼ独占することなるNECは1983年にPC-6001MK2 (84800円)や

その上位機種PC-6601(143000円)

1985年にはボビーパソコンとしてPC-8801mkIISRが発売されました



通称88SRはいわゆる88世代のPCゲームをやるために

ファミコンでは満足できない比較的大きなゲーム少年が買うようなパソコンでした

NECでもホビーパソコンという位置づけで発売しており

ビジネスPCのPC-9801とは一線を画してました

フロッピーディスク1基搭載してるやつで、21万越えと言うかなり…相当な高価なPCでしたw

翌年、廉価版として同性能のPC-8801FRが発売されたので(5インチフロッピー2基搭載で148000円)
注:消費税というものがまだない良い時代w

普及台数はこちらのFRの方が多かったのではないでしょうか

この8801SRは、CPUなどの性能の他に、5インチフロッピーやFM音源といったものを搭載しており

ファミコンやセガマークⅢやPCエンジンが逆立ちしても勝てない性能を誇っていました

その為に家庭用ゲーム機では味わえないようなゲームも1985年ごろには多数出ていました

同年に歴史的ヒット、社会現象となるスーパーマリオが発売されたこともあり、空前のゲームブームが来るのです



そして少しだけ次代を遡ります

5インチフロッピーがパソコンに標準搭載される前、初代X1やPC-6001mk2の頃は、

その媒体にはカセットテープが使われており、ロード時間が異様に長く、また回数も多く

エリアチェンジなどをするたびに数分~数十分というロード時間がかかると言うのが普通だったようです




日本でも1980年代に入るとPCゲームの開発を行うソフトハウスが増えて行き、

色々なソフトが発売されることとなりますが

まだまだ認知度は低く、

1部の、そのまた1部のゲームマニアしかパソコンゲームをやらないような時代でした

何しろ肝心のハードであるパソコンが高価過ぎたのです

ファミコンはもちろん、その前のインベーダーブームからパックマン、ギャラクシアン、ゼビウス、ドンキーコングといったファミコン発売以前にゲーセンを席巻したゲームで

TVゲームに魅力に取りつかれた子供たちですら、

その存在は当時のパソコン雑誌「I/o」「マイコンBASICマガジン」「LOGIN」などでしか知りえなかったのです

それらのゲームをやるのはまさに夢のまた夢だったのです

友達が買ったとか言う情報が出回るとその家に色々な理由をかこつけて

その家に入り浸ってそれらのゲームをやっていた少年たちもいたのではないでしょうか(身に覚えがありますが・・・w)

まあPCゲームだけに関わらず、ファミコンやPCエンジンでも小遣いに限界があるキッズなので

まあ普通に持ってる友達の家に入り浸りになるのでしたがw



続く




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1986年5月27日、ドラゴンクエストがファミコンにて初めて家庭用RPGとして発売された日です



確か少年ジャンプにて見開きのカラーページに2ページにわたって広告だったか特集のようなページがあり

当時人気絶頂だった鳥山明氏によるキャラデザやモンスターデザインなどがでかでかと乗っており

音楽はすぎやまこういち氏と書かれてました

それ以前はパソコン用ゲームで制作された「ウルティマ」や「ウィザードリィ」が1部のパソコン所持者によって熱狂的に支持されていたのです




時を遡る事41年

1981年、奇しくもRPGを代表するこの2つのゲームが発売されたのでした

当時のパソコンは極めて高価であり、おいそれとゲーム好きな子供が買うようなものではありませんでした



一方日本では、1977年にブロック崩しがゲームセンターに登場し、

翌1978年にはタイトーから、社会現象になるほど流行った「スペースインベーダー」が登場します



日本発の家庭用ゲーム機は任天堂やエポック社によってブロック崩しが人気がでる前後に発売されました 


1977年、任天堂から発売された「カラーテレビゲーム15」と「カラーテレビゲーム6」


1978年に出たエポック社の「システム10」

どちらも1971年、アメリカの「アタリ社」のアーケードゲーム「PON」の亜流としたゲームでした



1977年、「PON」の派生から「ブロック崩し」が登場したことで、一気にTVゲームのブームがやって来ます




となるとこのブーム以前より前からTVゲーム機を開発していた各社はブロック崩しの家庭用ゲーム機を発売するようになりました

任天堂もそのうちの一社でした

翌年の社会現象を起こすインベーダーゲームの家庭用ゲーム機も発売されました

ファミコン発売前のTVゲーム黎明期です

ファミコン以前のTVゲームは、アーケードゲームやPCゲームに比べて単純なゲームがほとんどで

グラフィックも大きく劣り、アーケードで人気を博したゲームが移植されても、

全く別のゲームの様に劣化して発売されてました

そんな中、上記のウルティマやウィザードリィをパソコンでやりまくっていた大学生たちがいたようです

ドラゴンクエストを作り出す「堀井雄二」、ファイナルファンタジーを作り出す「坂口博信」といった面々

ファミコンが登場し、PCでやっていた RPGをファミコンで出そうと言う事で

当時週刊少年ジャンプで「ファミコン親拳」を連載していた堀井雄二が、

ジャンプの企画によって、ファミコンユーザーにもやりやすいゲームを作り上げていくこととなります

堀井雄二はウルティマやウィザードリィをさらに分かり易く、プレイしやすく改良した「ドラゴンクエスト」を作り出します


日本で初めての家庭用RPGゲームの発売でした



しかしながら、その2か月前に日本初の家庭用ゲームのアクションRPGが発売されてました

同じファミコンでありながら、こちらはディスクシステムの発売となった「ゼルダの伝説」です

時に西暦1986年3月21日



この2つのソフト、妙な因縁があるようで

2017年、最初の発売から31年後、再び同じ年発売されることとなりました

片方はゼルダの伝説ブレスオブワイルド

方やドラゴンクエスト11過ぎ去りし時を求めてが発売されました


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